Monday, 10 November 2008

話しかけるということ



「どこから来た?」

と、いきなり話しかけられることがある。

警察の職務質問ではない。


話しかけてくるのは、レストランの店員とか
たまたま隣のテーブルに座ったおばちゃんとか
バスの運転手とか、エレベーターで一緒になったターバン頭とか。

別に哲学的な問いじゃないだろうし、まあそこは

「日本から来た」

と答える。すると

「何しに来た」
「仕事は何だ」
「年はいくつだ」

と、さらに質問で返してくるか、もしくは

「トーキオ」
「カミカーゼ」
「ハラキーリ」

などと、彼らが知っている日本を返してくるのがパターン。


質問しながら糸口を探すか
知ってる情報を出して反応を待つか。

いろいろな場所でいろいろな人に話しかけられても
話の持って行きかたはその2つくらいに限られる。

質問の角度とか、彼らの持っている情報は
それぞれ違ったりするけど。


こっちでは私は外国人だし、見た目の面白さもあるんだろうけど
それほど私に興味があって話しかけているようには思えない。

ただの時間つぶしに近いコミュニケーションを
とりたいだけに感じる。

時間つぶしコミュニケーションのとりたがりだ。


別に話しかけられるのは嫌じゃない。

だれかとそれなりに会話して、もしそれが
成立してなくても、私はそれはそれで楽しめる。

むしろ会話がなくたって、同じ空間で、同じ時間を
共有できるなら、そのほうが、もっと濃い
時間つぶしコミュニケーションにつながることもある。

そっちのほうが私は好きだ。


だけど逆に、わざわざ、話しかけるということはあまりしない。

ちょっとの間の自分の時間つぶしのために
その人の時間に入り込む必要はないし
同じ空間にいるんだったら、すでに入り込んでるし。

ただ、私が出会う彼らの多くは、あくまでも時間つぶし的であって
コミュニケーションとりたがりだから
同じ空間にいるだけで「あー話しかけてえー」「からみてー」って
顔してたり、話しかけるタイミングを
窺っているように見える時がある。

もしくはコミュニケーションとりたがりじゃないんだけど
同じ狭い空間にいて、無言が耐えられないとか
会話がないのが不自然に思うのか、辛そうな顔してる人。

そういう時は、たまに話しかける。

「なんか、この人こわい」とか
そういうのだったらもう別問題だけど
どうせちょっとの間だし、時間つぶししたほうが
いいのかな、と思うこともなくはない。


話しかけるということは、コミュニケーションをとるには
手っ取り早い手段の1つで、わりと誰でも出来る方法だと思う。

だからこそ同じパターンを続けられちゃ、からまれる方も
飽きちゃうし、そろそろ彼らも違うパターンで来てもらいたい。

「おっ」と思うようなものが欲しい。

なにも成り立たないとお互い困るし
劇的な変化は望めないだろうけど。


だからせめて「どこから来た?」じゃなく
「おまえ、どこ中?」とか、要するにそれくらいが欲しい。
「おまえ、7組の遠藤だろ?」とかそういうパターンでいい。

そうすれば少しは「おっ」て思うのに。

「新しいドラクエ、もう予約した?」とか
「悟空って免許持ってるんだっけか?」くらいになると
ギリギリかも知れないけど。

そのくらいの気持ちで来るんだったら
こっちだって対応していくし
「おっ、パターン入った。」ってニンマリ出来る。


それ以上はいらない。
そんなにびっくりさせて欲しくない。
「うわ、うぜえ」っていうのも嫌だ。

けどどうせ話しかけられるんだったら
そのくらいのびっくりが欲しい。


…と、今日話しかけられて、いろいろと思いました。
だからどうしたってわけじゃありません。